<臨床症例#5>
 P.H. は、63歳、80 kg で救急救命室(ER)に収容された男性。自宅で芝を刈っている時に、持続性胸痛を感じた。 ER に運ばれ、身体所見から、発汗および顔面蒼白が認められた。心拍数および調律は正常で、心音では、第III 音および第 IV 音は認められない。
 バイタルサインは、BP 180/110 mmHg、HR 100 回/分、呼吸数 32回/分である。
 P.H. の胸痛は、左腕や顎に放散し、その痛みを“押しつぶされる”とか、“自分の胸に象が座っているようだ”と表現している。自宅でニトログリセリン舌下錠5錠服用、救急車内で3錠追加投与したが、反応していない。心電図は、現在、第1誘導および V2-V4 誘導における ST 部分の 3 mm の上昇と Q 波を示している。
 臨床検査値:Na 141 mEq/L、K 3.9 mEq/L、Cl 100 mEq/L、CO2 20 mEq/L、BUN 19 mg/dL、血清クレアチニン 1.2 mg/dL、血糖 149 mg/dL、Mg 1.6 mEq/L、CK 1200 U/L、コレステロール 259 mg/dL、TG 300 mg/dL。
 P.H. は、冠動脈疾患の病歴がある。過去の心臓カテーテル検査から、冠動脈左前下行枝中間部(75%狭窄)、および左回旋枝近位部(30%狭窄)に明らかな病変。その時の心室造影では、EF 58%を示した。これらの病変に対して、薬物療法が適切と考えられた。心エコー図は、EF 52%を示し、その時点では、弁あるいは壁運動の異常は認められなかった。10年間におよぶ気管支痙攣を伴った再発性気管支炎発作の病歴もある。P.H. の糖尿病歴は18年間、インスリンで良好にコントールされている。また、軽度の高血圧は、20年間良好にコントロールされている。

 P.H. の父親は、心筋梗塞によって、70歳で死亡した。母親と兄弟姉妹は全員健在である。
 P.H. の喫煙量は、30年間1日1箱であり、飲酒量は、1週間に6本入りのビール1箱程度である。
 入院時の薬歴:インスリン毎日午前に15 U、午後に 10 U。硫酸オルシプレナリン、必要時吸入。ヒドロクロロチアジド 25 mg1日1回。ニトログリセリン貼付剤 7.5 mg1日1回、ニトログリセリン舌下錠 0.4 mg胸痛時。
 P.H. は、前壁梗塞と診断されており、現在までの CK の最高値は、2000 U/L
で、 MB 分画12%である。


Q1.P.H. には、急性心筋梗塞の徴候や症状があるか?
急性心筋梗塞(AMI)で生じる胸部不快感は,痛みというより“圧迫感,胸部が締めつけられるような感じ”と表現される.
症状を示さない場合(無症状や非定型梗塞は,糖尿病患者,高血圧患者,高齢者で発症率が高い)や,いくつかの症状(息切れ,低血圧,心不全,失神あるいは心室性不整脈)を示す場合がある.
P.H. に関しては,あまり有用な身体的所見を示していないので,症候と検査所見によって診断する.

Q2.P.H. について、どのような検査値異常を予測できるか?
CKは,入院時から高く,上昇し続けている.CK-MB12%(正常値<5%)は,心筋壊死を示唆する.CK-MB は,発症後12〜24時間に急激に上昇し,3〜4日で正常値に戻る.次の24時間に渡るAST の上昇や,AMI 発症後4〜5日でピークとなるような LDH の上昇が予測される.
非特異的なものとして,糖尿病なので,高血糖,ケトアシドーシスなど

Q3.P.H. は、心電図上に“Q波”を示すと記録されていた。非Q波心筋梗塞に対して、Q波心筋梗塞はどのような意味があるか?
V2-V4 誘導においてST 部分の上昇と Q 波の上昇は,梗塞部位(前壁,下壁,側壁など)の同定と梗塞の可能性の高い冠動脈を示している可能性.
Q波の存在は,心電図的な所見の意味合い.Q波心筋梗塞で,死亡率が高い.また,低血圧,心室頻拍,心室細動,心停止を合併しやすい.

Q4.P.H. の治療のおける即時的および長期的な治療目的は何か?
即時的:心筋壊死の拡大を最小限に,症状を軽減し,死亡を防ぐ.
    冠血流量の回復(血栓溶解薬の投与や血管形成術の施行)
    心筋の酸素需要を減少させる.
長期的:虚血症状の再発や再梗塞,心不全,心臓突然死などを予防もしくは最小限にとどめるため.

Q5.P.H. は血栓溶解療法に適しているか? どの薬剤が適しているか?
適切に用いれば,死亡を減らすことができる.
高血圧の病歴があり,受診時の血圧が,180 / 110 mmHg .血圧が高い場合は,脳出血の可能性が増大するため,相対禁忌.
P.H. は,前壁心筋梗塞を持っているので,血栓溶解療法が適している.
    この際,血圧調節を改善するため,すぐにニトログリセリンの静注を.
    収縮期血圧が,180 mmHg を下回り,拡張期血圧が,110 mmHg を下回れば血栓溶解療法が可能である.
重度の痛みと急性前壁心筋梗塞を示す ECG の変化を示しており,死亡率のリスクが高い.
    組織プラスミノーゲンアクチベータ(t-PA):血流回復が迅速で強力
    ストレプトキナーゼ:安価

Q6.“t-PA 100 mgを3時間で点滴”が、P.H. の為に処方された。これは、適切な投与量か? もしストレプトキナーゼを処方する場合、どのような投与法が適切か?
多くの試験では, tPA100 mg を3時間かけて点滴する.
    6 mg がボーラス投与で,その後さいしょの1時間で54 mg を点滴し,続く2時間を20 mg/hr で投与.
高用量(150 mg)では,頭蓋内出血が増大する.
 15 mg をボーラス,50 mg を30分,続いて 35 mg を60分点滴方法も.
ストレプトキナーゼ:60分かけて1.5 MU を点滴静注.

Q7.ヘパリン 5000 U の静脈内ボーラス投与およびその後、1000 U/時間持続投与が指示されている。また、アスピリン 325 mg の投与も指示されている。これらの薬剤はいずれも必要なものか?
急性心筋梗塞の死亡率が大幅に減少するので,血栓溶解薬投与の有無とは関係なく,急性心筋梗塞と診断された全ての患者には,アスピリンを直ちに投与し,その後,1日1回投与が勧められる.
ストレプトキナーゼを投与されている患者では,ヘパリン投与は相対的に有用性を示さないが,tPA 投与の場合には,ヘパリンの静注ボーラス投与とその後の点滴を,tPA 静注が終る前に始めるべき.(部分トロンボプラスチン時間が,正常対照値の1.5〜2倍になるように投与)――> 閉塞動脈の開通性が増大する.

Q8.血栓溶解療法を受けている P.H. において、再灌流の成功をどのうようにモニターするのか?
血栓溶解療法に引き続き,冠血管造影を行えば,梗塞動脈の開通の有無,血行動態,残存する狭窄部位が分かる.
ECG による,ST 部分の上昇の減少の度合い
臨床検査値,総CKやCK-MB が,早期(血栓溶解療法成功後1時間以内)に上昇する.

Q9.仮に P.H. が胸痛発生から6時間以上経過して病院に到着した場合でも、血栓溶解薬を投与すべきか?
血栓溶解療法は,胸痛の発生から12時間までの投与で,統計学的に有意な効果を示し,13〜24時間では,有効な傾向を示す.
6時間を経過していたとしても,症状が続いていれば,まだ生きている心筋がある可能性があり,これを救うことが可能.
ストレプトキナーゼは,コストエフェクティブな血栓溶解薬

Q10.P.H. にとって今回が初回の梗塞である。もし心筋梗塞の既往があり、血栓溶解療法を受けていたとしても、血栓溶解療法は適切か?
2度目の梗塞に対しても,血栓溶解薬を投与するようになってきている.
ストレプトキナーゼの反復投与により,アレルギー反応の懸念.もし,前回から1年以内の2度目の梗塞で,初回梗塞の時にストレプトキナーゼ治療を受けていたら,tPA による治療がベター. 数年後だったら,?

Q11.P.H. は血栓溶解後、当初は症状が安定していたが、48時間後の胸痛の再発生と梗塞の拡大による ECG の変化を起こした。この時、心臓病専門医は、tPA の再投与を考えた。この治療法は妥当か?
機械的治療(血管形成術など),tPA の再注入.
P.H. の場合,tPA の再注入は,安全かも知れないが有効でない可能性あり.
PTCA あるいは手術のいずれかの設備がある場合,多くの医者は,侵襲的治療手段を選択する.

Q12.P.H. は、予防的にリドカイン投与を受けるべきか?
急性心筋梗塞に併発する心室細動の半分以上は,梗塞の発症から1時間以内に起こる.Q波梗塞患者の方は,非Q波梗塞患者よりも,心室細動を起こしやすい.Q波梗塞を有する,発症後6時間以内の患者に予防的にリドカインを投与すれば,心室細動の危険性は低下する.また,症候性不整脈や持続性の心室頻拍を有する患者には,予防的にリドカインを投与すべき.

Q13.P.H. には、どれくらいの量のリドカインを投与し、どのように治療をモニターすべきか?
初回投与に続き持続点滴投与を行う.一般に初回投与量は 1 mg/kg (上限 100 mg).P.H. には,80 mg をボーラス投与し,その後20〜50 μg/kg/min を持続点滴投与した.この点滴は24時間以内に中止すべき.
リドカインの中枢神経系に対する副作用,傾眠状態,めまい,振戦,感覚異常,不明瞭言語,痙攣,昏睡など.
房室ブロックや収縮停止を生じる心室補充機構を抑制する可能性をチェック

Q14.医師は、メトプロロール 5 mg の5分毎の3回静注を指示した。β-遮断薬の投与は、P.H. に対して、どのような利益が考えられるか? 治療初期に、β-遮断薬の静脈投与を実施すべきか? あるいは、梗塞発症から数日後に経口療法として開始すべきか?
初期の経口療法として梗塞の急性期あるいは数日後でも,心筋梗塞患者に対して有用性を示す.初期の静注がもっとも効果的で死亡率を20%低下させる.経口療法のみでも,死亡率が減少する.
梗塞急性期に心代償性不全がある場合には,初期の静注は行わない.患者の状態が安定していれば,経口投与を始める.
P.H. の場合,合併症を伴わない心筋梗塞で安定しているので,初期静注療法の候補となる.

Q15.P.H. へのβ-遮断薬使用について懸念を生じた理由は何か? この療法をどのようにモニターすべきか?
長期にわたり高血圧と糖尿病の既往.血圧が150/110 mmHg, 心拍数100回/min . 糖尿病がある場合,β遮断薬は相対禁忌となるが,心筋梗塞患者の殆どが糖尿病であり,これらの患者に対してもβ遮断薬が有用.
P.H. の場合にも,β1選択的遮断薬を低用量投与することが可能.この用量では,相対的β選択性が維持される傾向が強く,糖尿病への影響は小.
P.H. では.血清コレステロール値とTG 値が上昇.β遮断薬は,血漿脂質に悪影響. しかし,高脂血漿患者の心筋梗塞後の罹患率および死亡率を低下させる.

Q16.P.H. が70歳以上であった場合、心筋梗塞後のβ-遮断薬の使用は変更すべきか?
年齢にかかわらず,β遮断薬の常用は,適切かつ正当であると考えられる.
高齢者では急性心筋梗塞後の死亡率が高いので,高齢者特有のクリアランスや薬理学的反応性低下のための投与量調節が必要.

Q17.数日後、P.H. は、定期的な心エコー検査を行った。これにより、左心室の前壁および左壁外側の運動低下、左心室のわずかな肥大、弁異常なし、EF が35〜40%、左心室の血栓の出現が確認された。臨床的な心不全の徴候はない。この心エコー検査からどのような治療的または予防的意味がわかるか?
梗塞領域で,心臓の壁運動が低下する.
左心室の血栓は,塞栓症の危険因子.この血栓に対して,1〜3ヶ月ワルファリン療法が可能.血栓が溶解し塞栓症の恐れがなくなるには,時間がかかる.

Q18.P.H. は心不全または症状がないにも係わらず、カプトプリル 12.5 mg、1日3回が処方されている。これは適切であろうか? もしそうならば、どのようにこの治療をモニターすべきか?
急性心筋梗塞の発症後,当初,収縮機能損失を代償するプロセス,心室リモデリングがおこる.
心筋梗塞発症後,カプトプリルを30日以内に投与開始すると,左心室拡張期容積,血行動態指標(肺毛細管楔入圧),壁運動能に改善がみられる.
心筋梗塞後想起の経口 ACE 阻害剤療法は,40%未満の駆出率の患者や心不全の臨床徴候のある患者において,特に,長期使用においうて有効.
P.H. の心不全症状の発現予防のため,ACE 阻害剤療法は治療候補.
    収縮期血圧が100 mmHg 以下にならないように血圧維持.
    治療開始から数ヶ月間は,腎機能や血清カリウム値を厳しくモニターする.
    少なくとも3年あるいは無期限に ACEI を継続すべき.
糖尿病を併発しているので,ACE I は,腎機能維持にも長期有用性を示す.
リシノプリルやエナラプリルのような長時間作用型にし,服薬を簡略化可能

Q19.この時点で P.H. の治療にカルシウムチャネル遮断薬を加えたのには、どのような理由が考えられるか?
Ca blocker は,梗塞後の狭心症を有する患者に適している.
P.H. はQ波梗塞を有し,進行性の虚血を示していないので,Ca blocker を必要としない.梗塞後の狭心症の徴候や症状を発現するか,β遮断薬に耐容性を示さない場合に,Ca blocker の追加を考慮する.

Q20.P.H. の退院予定日の3日前、医療チームはワルファリン投与による長期抗凝固療法ないしアスピリン投与による抗血小板療法の必要性を検討している。この時点で、P.H. に対してどちらの治療が適切か?
P.H. は,左心室血栓を有しているため,1〜3ヶ月のワルファリン療法の候補.ワルファリンと低用量のアスピリンの併用は,出血の危険性をそれほど増大させない.
無症候性患者への一次予防におけるアスピリンの主な役割は,慢性安定狭心症にたいする,再梗塞予防の二次的効果.アスピリンを160〜325 mg/day 投与は効果有り.

Q21.退院時にP.H. に必要な長期治療はどのように要約されるか?
合併症を伴わない急性心筋梗塞の場合,患者は,梗塞後5日で退院する.
適切な退院処方は,メトプロロール 25〜50 mgを1日2回.アスピリン 325 mg/day,リシノプリル10 mg/day,ワルファリン(INR で2〜3となる投与量).必要時の為の携帯用ニトログリセリン舌下錠を処方.
低用量の長期硝酸薬療法の選択の可能性
ワルファリンを除く薬剤は,長期使用されるが,ワルファリンは,数ヶ月後投与を中止すべき.以前に投与されていた,ヒドロクロロチアジドは,メトプロロールやリシノプリルによって高血圧のコントロールが可能なので中止
インスリン投与は継続し,厳しく血糖値をモニターする必要性.
収縮期血圧が100 mmHg 以下にならないように,β遮断薬を使用.
もし,P.H. が梗塞後に狭心症を有する場合は,ジルチアゼムのような Ca blocker あるいは,長期の硝酸薬療法または,その両者併用をする.

Q22.P.H. の危険因子を低減するために、生活習慣をどのように改善すべきか?
禁煙を促すのが最良の方策.禁煙した男性において,急性心筋梗塞の危険性が禁煙後数年以内に,非喫煙者レベルまで減少するとの報告あり.
体重管理,糖尿病管理,血清脂質コントロールなどの危険因子対策.