植物培養細胞による有用物質の生産とその制御

ー培養細胞の化学的分化と遺伝子発現

名古屋市立大学薬学部 薬用植物研究施設

 水上 元

【はじめに】培養植物細胞を用いる有用物質の生産については1970年代はじめから精力的に研究されてきたが、細胞の形態的脱分化にともなって目的とする有用物質の生合成能が著しく低下するケースが多く、今日までに実用化のレベルに達しているものは限られている。植物有用成分の生物工学的生産を実現するためには、特定の二次代謝産物を生産するという細胞の化学的分化を、その形態的分化から切り離して誘導するための方途を見いだすことが不可欠である。培養植物細胞には二次代謝産物の生合成能力に関して大きな変異が存在し、細胞を選抜することによって特定の二次代謝産物の生産能が高い細胞株を樹立できることは良く知られた事実である。このような、細胞集団に存在する第二次代謝機能に関する変異は、植物細胞の化学的分化の一つのモデルとして考えることができる。したがって、この変異のメカニズムを特に遺伝子レベルで解明することは、細胞の化学的分化と形態的分化を切り離すという課題を解決するための重要な情報を与えるものと期待される。本研究は、このような観点から、ムラサキの培養細胞におけるシコニン色素の生合成能の変異を細胞の化学的分化のモデルとしてとらえ、その変異の分子機構を遺伝子発現のレベルで解析することを目的として実施した。

【方法と結果】ムラサキの色素生産細胞と非生産細胞から調製したmRNAを用いて蛍光ディファレンシャルディスプレイ(FDD)を行った。色素生産細胞で産物量が増加していたcDNA断片70クローンのうち、northern hybridizationによって3クローンで実際に発現の増加を確認した。これらのcDNAフラグメントをプローブとして色素生産細胞から作成したcDNAライブラリーをスクリーニングすることにより、全長cDNAクローンを単離し、cLEPS-1、cLEPS-2、cLEPS-3と命名した。それぞれの塩基配列から推定したアミノ酸配列を用いてデータベースサーチを行ったところ、LEPS-1は、種々の微生物および酵母に存在するa,b-unsaturated cyclic ketone reductase と、LEPS-3は、真核生物のshort-chain dehydrogenase と、それぞれ高い相同性を示した。一方、LEPS-2は、データベース上のいずれの蛋白質とも有意な相同性は見いだせなかったが、モチーフ解析の結果、そのN 末端側にleucine zipper motif が存在していることがわかった。ムラサキ培養細胞のシコニン生合成は、細胞間変異という生物学的要因のほかに、光照射の有無や培地に添加する植物ホルモン(オーキシン)の種類などの環境要因でも厳密な制御を受けている。そこで、これらの環境要因を変化させてシコニン生合成を制御したときの各遺伝子の発現レベルの変動を調べたところ、LEPS-2遺伝子の発現がシコニン生合成の変動と特に密接に関連していることがわかった。